2025年11月20日

祖母、そして記憶の順番


初めに

11月も下旬に差し掛かりましたね。朝の空気は澄み切っていて年末すら彷彿とさせてくれます。既にクリスマスが終わりおせちの予約を取り付けているお店も増えてきている事でしょう。
私の母方の家は行事には厳しく、祖父は買ってきたおせちを許さなかったそうです。その為、年末になると祖母はおせちの仕込みに追われたとかなんとか。

その祖母はもう今年で91歳となりました。半年前程にお会いした時には既に認知症の進みも感じましたが、一方でお身体はまだまだお元気でした。
そんな祖母に家族で会いに行くと、記憶は大分危うくお会いしてから暫くは私の事を認知出来ていない状況です。
しかし会話を進めていくうちに私と目の焦点が合い、孫である私の名前を呼んでくれます。
ただし、私が純然無垢な少年であるかのように。

記憶があいまいな祖母と何回も会っていく中で、この記憶の戻り方に法則性を感じました。

それは、「ある一定の過去のタイミングから、ある一定現在のタイミングまで、時系列順に思い出している」という法則でした。


法則性

法則1 思い出しの順番は過去→現在の時系列をなぞる。

法則2 その場に居る人物で思い出しの始まる過去の特異点が違う。
例えば、長男である叔父がいる場合、叔父が就職したあたりの記憶から思い出しが始まる。
次女である母がいる場合は、母が結婚する前後辺りから思い出しが始まる。次男である叔父がいる場合も同じように。

法則3 法則2において思い出しの優先順位は長男→次女→次男→孫などetc。

法則4 その場に居ない人間の記憶は、あまり思い出されない。もしくは思い出しの過程にのみ存在する。その場合、必ずしも目の前の本人と結びつくとは限らない。

法則5 祖父が亡くなって以降の思い出しはあまり行われない。しかし、祖母の自認年齢は老人ホームに入る前付近まで更新されている。その間およそ20年程。

法則6 「辛かった」「悲しかった」等の記憶は、思い出し中の祖母の口からは零れ落ちない。「貴方こうだったわよネ。偉いわね」などと私たちに告げる事が大半である。


調査と疑問

統計と言えるほどが保たれるほどの面会を行っているわけではありませんが、概ねこのような法則で思い出しが始まる傾向にあると思います。勿論、例外のパターンも多々ありますが。

驚いたのは、法則1と法則6が祖母、ないしは個人特有のものであるという事でした。
他法則ではエピソード記憶の優先度や、記憶が消える順番などで当てはめる事が出来たのですが。特に、「思い出す順番」に法則がある事は調べることが出来ませんでした。

私の拙い予想では、この法則6こそある程度共通してみられる事かと考えていました。どうやら違う様です。

ではなぜ、祖母はこのような思い出し方をするのでしょうか?


考察

ここからは想像に過ぎないのですが、祖母の性格に当てはめて考えてみます。彼女は少し頑固というか、厄介という意味ではなく、拘りがある人だったと思います。自分の意見を信じるタイプでした。

例えば。晴れた日に東京に祖母と訪れた時、東京からかすかに見える大きな山について、富士山だと答えた時。「東京から富士山が見えるわけないじゃない」と言って聞きませんでした。

ホームに移る前はかなりギリギリまで自分で出来る事をし、母親というよりは族長のような、毅然とした態度を貫いていたと思います。
そして勿論、優しい人です。

そんな祖母の事を考えると、目の前の家族らしい人の事を思い出せない事はもしかしたら悔しさもあったのではないでしょうか。
だからこそ、記憶と目の前にいる人物が一致した段階でより確実な過去から「貴方こうだったわよネ」といった雰囲気で私たちに語り掛けるのではないでしょうか。忘れていませんよ、という雰囲気で。

つまり、強烈なエピソード記憶は覚えている。しかし、目の前にいる年を取った家族と、その記憶の人物との照合に時間が掛かっている。こういう事ではないでしょうか。

そして。法則6の「辛かった」「悲しかった」等の思い出しはあまり行われない事。これが祖母の保持するエピソード記憶が良いもので埋まっている事の証明な気がします。
もちろん、愚痴程度は残っているかもしれませんが。
このことを整理する上で、私はそれが嬉しかった。


終わりに

祖母の家を整理した時、横浜髙島屋の袋がうんと、沢山出てきたことをよく覚えています。ついでにアクセサリーや洋服、華の道具なども。

家庭菜園と囲碁という、あまりお金のかからない趣味を持った、ベレー帽が良く似合う祖父は、祖母に買うものに困らない様にしていたと考えると……。
エピソード記憶が良いもので埋まっている事も頷けました。

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